|
教育は青少年に対するものだけではなく、あらゆる世代に対するもの。それを行うのは地域しかないのではないか
![]() 【太田】 お忙しい時にご出席いただきまして、ありがとうございました。また、各省におかれましては、こうしてご出席いただきましてご協力を感謝申し上げます。 そろそろ地方行政調査会としても独自の活動をしたいと思います。今の日本国にとって何が問題かと言えば、人と人とのきずなです。そのきずながだんだんとばらばらになってきています。このままいったら、社会を支える粘り、あるいはその土台作りが危うくなってくるのではないかという危機感を、口には出さないけれども、多くの人たちが持っていると思います。 これは一朝一夕に立て直すことができないテーマです。その基本は、家族や公の機関としての学校というだけではなく、地域社会も、日々顔を会わせる人たちの間の人間関係ではないかと。都道府県、市町村はあるけれども、小学校の校区や、あるいはそれよりもっと小さな、我々の言葉で言うと、町内会、自治会、あるいは、田舎へ行けば行政区といわれている単位のところに光を当てなければいけない。そして、結局のところ、そういうところでしっかりしたきずなをつくり直さなければ、個人情報保護のようなだんだんと匿名性のーのセンター長もお務めです。先生は、日本の近世・近代史がご専門であり、また薩摩藩士についても深く見識を持っておられますので、今日は郷中教育についてお話をいただくということになりました。今日はありがとうございます。 【原口泉・鹿児島大教授】 ただいまご紹介いただきました。たった今、鹿児島大学の講義を終えてきました(笑)。 本当に鹿児島の地域の教育、大体の内輪の人は誇りに思っている郷中教育について紹介させていただく機会をいただいて、大変ありがとうございます。こういうふうに鹿児島のことをお話しできるというだけで喜ぶというのも、鹿児島のヘリテージの一つではないかなと思います。議論とは別に、今でも意見が対立していても「長幼の序」は守ります。 地域における氏素性とか肩書とか職が違っても、大体そういう意識といいますか、地縁というものが非常に濃厚な地域が、この日本の中でも鹿児島ではないのかなと思います。明治維新でも、長州と薩摩というのは、日本の辺境の中から新しい時代を起こす風が起こったわけです。 郷中教育といいましても、特に薩摩で新しくつくった教育の制度ではないということです。日本の広い社会の中に、底辺に、子どもが成人にな歴史的役割を果たしたというのが、下加冶屋町郷中の西郷隆盛、吉井友実、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などで、同じ町内会の人間です。西郷隆盛が1827年生まれで、その20年後に東郷平八郎さんが同じ近所に生まれています。同じ町内会の人間です。20年ですから、ワンジェネレーションのうちなんです。しかも、大山巌さんと西郷隆盛さんはお母さん方がいとこ同士という関係です。ですから、たまたま夜な夜な集まって天下国家のことを議論していたら、その人たちが戊辰戦争などを担うことになったということです。 特に西郷さんが頭がいいとか、そういうことは全然ありません。京セラの稲盛さんが優等生だったかというと、「そうでない」とご自分でおっしゃっているわけですから、そういう意味でいろいろな人間がいるということで、先ほど太田先生がおっしゃいましたが、地縁なんです。若者たちが自らで組織をつくるということで、その中の関係は血のつながりが全然ありません。同じ地域に住んでいるということだけでお付き合いをするわけです。極端に言えば、例えば、それが外国人であっても同じ地域であれば、それは同じ仲間として認めるという意味で、家柄、血筋、肩書、名門ということが全然関係の長老(ちょうろう)と書きまして「おせん」、「衆」は「し」と読みます。 稚児から、小稚児、長稚児、元服して、二才、その中から二才頭が選ばれて郷中をリードし、そして24〜25歳になったら長老衆と呼ばれて、よほど重大な問題があってどうしていいかわからない時に、郷中の人たちを諮問する、教えるという役割になって、年齢、階層ごとにこの郷中のシステムを全部通っています。 この教育制度がいいか悪いかというものではありません。例えば森有礼のように、こういう集団教育は自分にとってはよくなかったと、逆に反面教師としてまた新たな歩み方をする人もあります。また、集団として力を発揮していくべきで、日本の近代化には大いに薩摩という閥が役立ったのも、この青少年期に郷中教育を経験しているからだということがいえます。 ただ、郷中教育によって、西郷、大久保、東郷、大山などいろいろな人材が輩出した、というのは少し飛躍があるのではないかと思っています。というのは、郷中教育というのは、あくまで教育の土壌であって、そこで知識など、いろいろな義兵を身に付けるわけではありません。地域に非常に多様な教育の機会が用意されているのです。 例えば、おまえは勉強ができそ大体70人います。お互い競り合っています。競り合って、時々お互いにけんかすることもありますが、西郷隆盛さんなんかは、12歳の時に逆恨みされて、相手の郷中の人から傷つけられて、刀は抜いていませんけれども、さやで右ひじを切られていますから剣を使うことができなくなりました。そういうふうに他の郷中と競り合うことによって、同じ郷中内の仲間の結束が高まるということになります。 なぜ近代性があるのかという点に関しては、私は、徂徠学が日本の近代の始まりであるとおっしゃった丸山眞男の説を援用するのですが、その地域のメンバーになるのに血を問わないという点です。完全に地縁です。そして、集団生活をするのですが、画一的な教育でなく、その成員の違う能力、多様性を認めて、その一人一人の能力を最大限に伸ばすようにみんなが支援してくれる、仲間が支援してくれるわけです。 従来の、日本の江戸時代の最初の思想は朱子学です。君子である人は、徳のある人であれば世の中にうまく治まるという、非常に楽観的な考えです。しかし、18世紀中ごろ以降の凶作、飢饉、打ちこわしといった現実的な問題に対策を立てられる能力が君子に求められるということで、道徳性から政治学が切り離さ役。役というのはその職業に対するモラルというのが随伴するものです。確かに西南戦争によって士族、武士の時代は終わりましたが、武士としての立ち居振る舞い、人としての生き方のモラル、つまり武士道を何も捨て去ることはなかったというのが、恐らく新渡戸稲造先生や内村鑑三先生などが西郷隆盛を評価されるゆえんではないかと思います。そういう意味で、人としての生きる道、モラルというものの再評価が、いろいろな民族、宗教の対立を越えて、外交の部分にも何か新しい道を提示できるのではないかというのが、アメリカでもそういう人としての生き方、モラル、批判に着目している点ではないのかと、私なんかは思います。 それはともかくとして、それが大正時代、戦前まで受け継がれてきているということが、鹿児島にとってはひとつの精神的な、あるいは教育的な資産ではないかと思います。これは、高度経済成長期にも、逆に高度経済成長期から取り残されることによって、先生方の前で大変恐縮ですが、これはまあ(笑)、ご努力はされたと思うんですが。この地域の良いつながりは、教育の面では継承されていて、何も学校だけが教育の役割を果たすものではないという伝統がかなり受け継がれてきて、島県警を中心に、安心・安全プログラムの推進をやっていらっしゃいまして、それは地域の校区公民会が生きています。地域というと、大体、小学校区の公民館が一つの実態のある地域になっているのです。特に郡部では、小学校、中学校の運動会があると、子どもがいなくてもその地域の最大のお祭りになっているというのがまだまだ続いています。こういったところで過疎化の中で運営は大変厳しいながらも地域おこしに、あるいは財政難に苦しむ自治体、例えば先生のところの垂水市などもそうですが、廃校になった小学校に自然学校をつくろうという形で、大体50代の人が新しい地域づくりに非常に熱心に取り組んでいるという現状があります。 そういうふうに、地域の教育力という点では連綿とまだその伝統があると、ここに注目していただければ、日本の地域の教育力はまだまだ再生できるところにあると私は本当に考えます。 今は鹿児島県本土の場合を申し上げました。これが奄美諸島にいくと、もっともっと地域の教育力があります。保岡先生も徳田先生もご存じですが、あの「島唄」は一つの教育のシステムです。じいちゃん、ばあちゃんが、孫に「島唄」を聞かせるわけです。子どもですから、4〜5歳から聞かucation student が3,000人いると。そして、online student、多分これは通信教育の学生だと思うのですが、6,000人いると。教育しているこの4つの対象を同じ比重でおっしゃるのです。日本の大学の場合は、学部学生か院生かという若者しか対象にしていないのですが、そうではなくて、地方の大学が教育をやるべき者はその地域にいるすべての国民である、ということが徹底しています。 そういえば、私は1964年から1965年にネブラスカ州立大学付属ハイスクールを卒業したのです。ちゃんとdiploma(卒業証書)を持っています。その時に、大学のキャンパスの中にじいちゃん、ばあちゃんが、スペイン語の辞書を持って歩いているのです。よく考えてみれば、アメリカの州立大学は、その州に貢献するために設立されたわけです。日本の国立大学は100ぐらいあります。「名前が悪かったね」という話を先ほど森山先生がおっしゃいましたが、国立大学というから地域のことをやってはいけないのではないかという長い間の誤解がありました。また、地域のことをやると、何か下等なことをやっているような雰囲気が大学内にあったことも事実です。ところが、今はそれではいけないということで、今度統合されると思いますが私が鹿児島大学に帰った時は、よく西郷に反発していました。西南戦争のもたらした被害があまりにも大きかったものですから。だけど、そのころよく先輩から言われたのは、「へっちせい!」で早くしなさいということです。早くしなさいと言われても、「これまでのいきさつを聞かせてください」と尋ねますと、「済んだこちゃ言うな」と言うんです。済んだことは言うなと。それで、「将来の展望は?」と言うと、「さっきのこちゃ、わからん」、先のことはわからないと。これでは、私も30代でしたから、少なくとも大学人として鹿児島の今後を考えるのに、先輩方は、「はよ、せい」と、「済んだことは言うな」と、それから「先のことはわからん」と。そして必ず最後に、「びをとれ」と言うのです。「び」というのはしっぽのことで、結果を出せというのです。最後までやり抜けと言うのです。「そんな……」と思うのですが、しかしこれはよく考えてみましたら……。 私は、ニュージーランドにメール友達の大学院生がいます。私が郷中教育の「へっちせい。済んだことは言うな」と言いましたら、ニュージーランドの女性にその話をしたそうです。その人は、だんなさんが亡くなって、子育てをして女性が一人で大いうことです。 もう1つ、理屈でないことを6歳から徹底的に刷り込まれるんです。口で言わせるんです。行動で示すことを強要されます。これにもとると、ものすごく敵が来るというスパルタ教育なんです。それは何か。「うそを言うな」「負けるな」「弱い者をいじめるな」、この3つです。これは、鑑真大和上が戒律を日本にもたらした時の1、2、3はそうです。「人を殺すな」「盗むな」「うそを言うな」だったと思います。今の人類にも応用するような理屈や論理を越えた、藤原正彦さんがよく言っていらっしゃるような、1人の人間を少なくとも2人以上の人間で攻撃することは、その人間が悪くてもひきょうだと。理屈じゃないんだと。そういったことを先輩たちから教えられますから、個人の私意ではなくて、ある程度フィルターにかかっています。そして、これまでの教育の経験律から積み重ねてそういったことを教えられ、そして刷り込ませられます。「うそを言うな」「負けるな」「弱い者をいじめるな」。 それから、貧しても、貧乏は恥ではありません。「たそがれ清兵衛」以下の人間が鹿児島で3,000戸もあるんです。東郷平八郎さんの家だって、西郷さんの家だって、大山さんの家だって、「たそがれとしての道を説いたものが、戦国時代にできた「いろは歌」で、47首あります。これはほとんどの鹿児島の人は知っています。今の団塊の世代の人はほとんど知っていると思います。「い」が「いにしえの道を聞きても唱えても 我が行いにせずばかいなし」です。野村さんなんかもご存じだと思います。「ろ」は、とにかくお金のない県で、農産物はいいです、「楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき」と。決して貧乏を恥とはしていません。その次が「は」です。つまり学びということです。「はかなくもあすの命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせで」。戦国時代、明日どうなるのかわからない。その時に、だからこそ、今を大事に、今一番大事な学びをやるんだと。 このことは今でも生涯学習につながりますし、大体、健康講座って、運動、栄養、休養ばかりを言っていますが、人間が人間であるのは、そのうちの美容エステなのです。その上があるんです。健康、運動、休養、美容、最後が教養です。教養、学び。そういう意味では、これからの日本の教育は、青少年だけではなくて、生まれてから死ぬまで、人生のあらゆるステージに教育の機会が用意されているということが望ましいと思い |